光あるうち光の中を歩め

とにーの日記です

競馬場

仕事が恐ろしく暇なので記事を書きたいと思います。

私は競馬が大好きです。

そんな私は去る8月31日(金)夏の最後の思い出をこさえに名古屋競馬場へと赴きました。自転車で、1時間くらいかけて。

名古屋競馬場はご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、愛知県が運営母体であるところの地方競馬です。地方競馬はかつて日本のそこかしこに存在しておりましたが、平成に入ってから多くの地方競馬は経営難となり姿を消していきました。

私が高校まで過ごした栃木にもかつて宇都宮と足利に競馬場がありました。

現在残っている地方競馬場は、経営努力や中央競馬との連携を強め存続している、いわば頑張り屋さんなのです。東海地方にはほかに岐阜の笠松競馬場も存続しています(笠松オグリキャップのふるさととしても有名ですね)。

さて、競馬場に着くと、中央競馬と異なり主に平日に開催するのが地方競馬。来場する人も高齢者が多く、鉄火場というよりかは牧歌的な雰囲気が漂います。

走る馬もどことなく覇気がなく、何となくトラックを一周してくる感じ(持てる力で精一杯走ってはいるのでしょうが…)。

中央競馬陸上競技会としたら、運動会のような感じ。

でもそれがつまらないとか悪いとかではなく、むしろ楽しく癒される思いでした。

地方競馬で走る馬の多くは、かつて中央競馬で落ちこぼれの烙印を押され流れてきた馬たちです。それでも競走するためにうまれてきた運命からは逃れられず、彼らは与えられたステージで走り続けます。おそらく、その命が尽きるまで。

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私は高校生の時分に、寺山修司の競馬に関するエッセイをよく読みました。そこには、ひとつのレースに自分の人生を重ねる人々が描かれていました。

私もよく競馬を人生を喩えることに、賭け事として一種のカタルシスを感じていました。でもこの日は走る馬に自分自身も、人生も重ねず、自分の持てる力で精一杯走る馬たちをただ見ていました。

はじめて、競走馬を賭けの対象ではなく生き物として見に競馬場へ足を運んだという話でした。帰りは雨が降り、びしょ濡れになりながら帰りました。